630 falling
今日はこちらの映画を鑑賞。
9.11を取り巻く様々な出来事を世界各国の11人の監督が撮った映画。
9.11って知ってますか?と聞かれれば知ってますと答えるけれど、正直産まれる前の話。本能寺の変とか玉音放送とか、そんな「歴史」と911は大差はない、という感覚なのです。
私の親は居酒屋で酒を飲んでいる時に、居酒屋のテレビでこの事件を知ったらしい(時差の影響で日本は夕方から夜)。
一方私の友人の母親は、その頃貿易センタービル近くで働いていて、飛行機が突っ込んだ後は満身創痍で逃げたらしい。
この温度差。友人の母親にもしあの時何かあったなら、友人はこの世に存在しないことになる。
命ってのは偶然保てているだけなのかもしれないな、なんて思う。
その中で、
ビルの上から身投げする人もいたことを知った。
映画の中では実際に撮られた落ちていく人の写真や動画が使われている。
火のあがっているWTC1です。そこから人が飛び降りていました。手足を、ばたばたさせながら、できるだけ空気の抵抗を受けるように落ちていきました。数百メートル下にあるマリオット・ホテルの屋上に向かっていたと思います。
当時貿易センタービル付近に住んでいた人の手記からの引用です。
90階から落ちたとなると、命を保つことは愚か遺体はバラバラになってしまうのだそう。映画にスイカを家の2階から落としたりするシーンってありますよね。あのスイカと同じような感じになるらしいです。グシャッと。
飛行機がビルに突っ込むまでは自分が死ぬなんて一瞬も考えていなかった人が、ものの10分足らずでビルから身投げしたという事実。
一機目が衝突した北棟はエレベーターも非常階段も潰れて避難は困難だった。火災の熱と煙にやられて死ぬか、自ら身を投げるかを選ぶという局面に立たされたわけです。
煙が酷くて地上が近い錯覚に陥っていただとか、ジリジリと熱にやられて死ぬより一瞬で死ねた方が楽だとか、しかし身投げ(=自殺)はキリスト教の教えに反するだとか、様々な意見がネット上には見られます。
当事者ではない私たちは、その状況から推測し、想像することしか出来ない。あの時手を繋いで飛び降りた人、風圧で捲り上がるスカートを抑えながら落ちた人、人形のように力なく落ちていった人、どの人の事も想像でしかない。だから、あの人たちを責めることなんて決してあってはならない。責めるべきは人々をそんな状況に追い込んだもの。
ある人は言いました。「あの日(9.11)を境に、世界は真っ暗闇の中を進んでいるような感覚がする」。
私は「あの日」以前を知りません。知らないから、世界ってこんなものだって思っている。私の普通の世界が、それ以前を知る人からすると「真っ暗闇」。闇を闇と認識できないことほど怖いことは無いかもしれない、とも思うのです。
あらゆる文学、映像、音楽などの中で、特定のものを示す符号となっている年号というものが存在している事に近頃気付きました。
- 1945 太平洋戦争集結
- 1964 東京オリンピック (あるいは1970の大阪万博)
- 1995 地下鉄サリン事件
- 2001 アメリカ同時多発テロ
- 2011 東日本大震災
など。もしかしたら2020は新型コロナウイルスを示す符号になるかもしれませんね。
もちろんこの年号=この事件、としてしまうのはいけない。けれど、社会の転換点という意味では、この事件達は大きな意味を持っています。
2011年の東日本大震災に関してはリアルタイムで報道を見ていましたが、時が経つにつれて記憶は朧になってしまっている。それに、2011年以降に産まれた現9歳前後の子供たちは東日本大震災すら知らないわけです。
過去を知ろうとすることが若者の義務なのかも知れません。背けてはいけない歴史というものは確かに存在し、今に影響を与え続けている。知らないでは済まされない。
あの日「落ちなければならなくなってしまった」人々がいたことを知れてよかった、と思いました。
犠牲者は数ではなく人間。一人一人に心を寄せて、このような事件を知っていきたい。
0コメント