1月1日
2023年になった。
空の色が変わったわけでも、風の味が変わったわけでもない。ただ、人間が定めた円環が終わり、始まったというだけ。
なんだか悟りでも開いたのかというようなことを言っている私は今、下宿先でも実家でも祖母宅でもない場所にひとりでいる。
年末の家族の圧に耐えられなさそうだったので、住み込みのバイト(のようなもの)に来ている。旅館で中居さんの補助をする仕事だ。少し立地に難があるが、職に困ることは無いし日中は自由にしていていいので気楽なものである(ただ、仕事の内容は残念ながら私には合わない様子)。
更には、せっかく旅館の温泉に入っていいというのに生理が始まってしまった。ばか、ほんとばか。思っ苦しい下半身をなだめながら2022年を終えてしまったのは不運としか言えない。おめでたくなんか何も無い。お客様には「おめでとうございます」と声をかけるよう言われたが、体が全くもっておめでたくないのだ、こちらは。赤だからってめでてぇわけじゃねぇよ。
結局のところ、紅白歌合戦やガキ使や新春大笑いのようなもの、カウントダウン、お雑煮やおせちなど、一般的に「正月らしい」ものに一切触れなければ、12月25日も1月1日も変わりはない。ここに働きに来なければ知らなかったな。覚えておく。
話は変わるが、今年は年賀状を二枚だけ出した。二枚とも中学の頃の友人宛てだ。高校になってからは年賀状のやり取りをする文化が薄れたので、中学の頃の友人宛だけが未だに必要なのは話が通っている。
お元気ですか。お変わりないですか。昨年はお世話になりました。今年もよろしくお願いします。
ささやかな、それでいてテンプレート的な挨拶を書き添えて送るハガキは、父や母の代にとっては、昔の繋がりを年に一度思い出させるものらしい。今どうしているかを小さく載った家族写真を見て知るのだ。あれっ、子供増えてる。あいつ、眼鏡になってるな。自体変わらないな〜、と。
私たちの代は、最後の年賀状に触れた世代かもしれない。SNSが普及した今、私たちより下の世代はあけおめもLINEで送るだろうし、いちいち少額のお金を払うより効率的で手間いらずだ。かくいう私達もその流れに乗って移行している。
ただ、ここで問題なのは、「どの程度の交友関係の人まであけおめを送るか」だ。友人の選別が行われる。あの人とはそんなに仲良くないし送ったら不審がられるだろう、とか、なんで私に送ってくるんだろう、とか。わたしとあなたの距離はどのくらいか、というのを測りながら挨拶をする。たかが挨拶? 私には無下にすることはできない。あなたにとって私はどの程度近しいのか、という不安が常にある。だから、今年も私からは1人へもあけおめを送れなかった。弱虫だ。もっと私は私に自信を持つべきだろうけれど、それができない。あの子にさえも送れなかったんだ。私は覚えている。二年前(高3)の31日、あの子は「今年最後に聞く友達の声はあなたがいい」って電話してきてくれたよね。すごく嬉しかった。で、私一日の朝起きて、一番にあの子に電話をかけたんだ。「今年最初に聞く声をあなたの声にしたかった」って。私は最高に幸せだった。知ってる? 私ね、あの電話の後静かに泣いたんだよ。知らないままでいてね。
私は年末年始になるとあの幸せのことを思い出して、一方で今年は先着順で負けてあの子と一緒に年越しできなかった拒絶から顔を逸らす。そう、逸らすためにわざわざ過酷な環境に来たんだ。結局こうやって思い出して、文章書いてるんだけどね。ただいま一日の10時です。
会いたいよ。ずっと会いたい。
会いたいけど怖いから触れない。
あなたの今を知るのが怖いなんて、これは愛じゃないんだろうなって、思う。
恋かと言われると、首を横に振りたくなる。
本当はぴったりな言葉を知っているけれど、無自覚な振りをしていたい。
あーあ、死にたいなあ。
肉体的な死じゃなくていい。
私はわたしから開放されたい。
私はわたしである限りずっと苦しい。
なんか、こうやって心のそのまま書いていると、え、そっか、私死にたいんだな、ってびっくりしちゃった。
私でも私のことを分かれない。
なのにあの子のことを分かりたいなんてわがままだね。それを人は愛という? ほんとう?
こんなに近くにいるのに、これ以上お互いに分け合えないなんて、とインディーズのスピッツは歌っていて、私はそれがとてつもなく好きだけど、今は物理的にも心理的にも近くないのに、何言ってんだか。
最終的に望むことは、ひとつ。
あの子が他の誰かとでも幸せに生きている時、それを優しく受け止めて、見守ることだ。それができない私なら、とっとと死んじゃった方がいい。それがいい。
どうやって死んじゃおうか、決めきれないけど。この思いを確認する時、ViViを思い出す。あの子はあのころの私の願いだった。あの子の刃物になりたかった。死して。今、この時を留めたいって思いが溢れたのがあの作品だった。あいしてる。分からないけれど、あいしてるって気持ちだった。
毎度思うけれど、こんなことをつらつらブログに書いて、もしわたしが本当に死んだら、このブログを引用して色々言われるんだろうな。言えばいいよ、憶測すればいい。どんなに探ったって、私の気持ちは私だけのものだ。私はこの苦しみで生きている。それだけだ。他の誰かに分かるものか。ああ、泣けてきちゃった。一人で泣くのはさびしい。メイクも崩れるし。あの子、お雑煮食べたかなあ。
てか、前半と後半で文体違いすぎて笑っちゃった。
さて、切り替えてどこか行きますかね。
良いお年になればいいな。
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