「何者かに」なりたい私

幼いころ、特に未就学児くらいの子供には、ついて回る質問がある。

「大きくなったら何になりたい?」だ。

私もそのくらいの時に聞かれたことがある。どこか冷めた子供だった私は「ない」と答え、周りの大人を困惑させた。


「大きくなったら何になりたい」かを、大きくて何者かになれているような素振りをしている大人から問われる。そうして子供ってものは、大人がいかにもらしいものだという風に学ぶし、自分もいつか「何者かに」なれるのだと錯覚していく。幸せなことに。



私は未就学のころに祖父を病気で失った。病気で、とはいっても病院で亡くなったわけではなく、ある日突然ぽっくりと、というように。

当時私が祖父との別れに泣きじゃくったとか、そういった話は聞かない。「死」というものをよく分かっていなかったのかもしれないし、両親が悲しまないように配慮してくれていたのかもしれない。


しかし、昨日まで元気だったのに、おじいちゃんはもう動かない、という事実に何かを感じたのは確かなことだった。

「大きくなったら何になりたい?」と聞かれて「ない」と答えていた私は、祖父の死を受けて答えを変えた。

「名前が残る仕事がしたい」。

金曜ロードショーの早送りされるエンドロールを見ながら発した言葉だった。



幼いながらも「無常感」を覚えたゆえの発言だった。人はいつか死ぬ。いつかはいつかでしかない。待ってもくれない。理不尽で残酷。

そんな世界の中で見つけたのがエンドロールだったのだろう。俳優自身が死んでも、作品は残り続けて、見られ続けて、忘れられることはない。確かにそこにその時代に生きていたという証が欲しい。きっとそういうこと。


その考えがあったからなのか自分の性に合っていただけなのかは分からないが、小学6年で小説を書き始めた。夢中になって書いた。誰に読ませることもなく、五ミリ方眼いっぱいに文字を書きなぐった。

いつしか文字を書くことは私が私として存在することの証明になった。逆に言えば、それなしの自分には価値が見いだせなくもなった。文字を書いている間は、「何者かに」なれている気がして。



しかし世界はそうも甘くない。

noteの筆者は私と同い年だった。その文のうまさに驚いたことに加えて、内容はすべて実話だという。

覚えている。これを読んだのは受験勉強真っ盛りの夏。塾の涼しすぎる自習室。休憩にと開いたTwitter。しばらく動悸が収まらなかった。


私は逃げ込んでいただけなのかもしれない。自分が王様の、ウテナ世界の言葉を使うなら「居心地のいい柩」の中に。創作という非現実で「何者かに」なれていると錯覚し、気持ちよくなっている。こんなのマスターベーションでしかない。

創作の力で「何者かに」なれるのは多くの人に認めてもらってこそだ。限られた友人に評価してもらっているだけでは「何者か」にはなれない。永遠は手に入らない。


そう、思い知らされた。私は何になれるだろう?


それからしばらく、小説が書けなくなった。友人にはスランプだと困って見せた。私にとっての創作とはどうあるべきなのか。そんなことを考えながら受験勉強を機械的にこなした。


結局、創作からは離れられず大学でも文字を書くことを選んだ。私には創作しかなかった。私より文才がある人が多くいる世界で、私はどうするのだろう。どうなるのだろう。そんな気持ちで大学を決めた。人体実験だ。



現在大学一年生の夏を迎えようとしている。あのnoteから一年。創作以外でも興味があることにはなるべくアプローチをしていこうと、サークルに属しボランティアにも参加した。

幸い、「お前は何者だ」と聞かれるまではまだ時間がある。自分は何になれるのか、何になりたいのか、そもそも何者かにはならなくてはいけないのか、じっくり考えていきたい。


このブログは、そんな大学生の日々を綴っていきます。おわり。

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